本人が本気で良くなりたいと思っていて
継続してちゃんと通ってくれさえすれば、必ず結果が出ます。
本人が「こうなりたい」と明確にした、その状態になれます。
そして、もうひとつ。
「治った先に、何が見えているか?そこに希望はあるか?」
「今よりももっと幸せになれる!と思えているか?」
ここがハッキリしている人は、必ず、良くなります。
でも、ここの部分が、見えていない人が、けっこう多い。
「治った先に何もない」
または
「治ったら都合が悪い」
このブログでも何度か書いてきた「治りたくない人々」なんですね。
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「治ってしまったら、都合が悪い。」って何?
と気になる方は
過去記事に記してありますので、上記リンクをご参照ください。
私の場合は、過去に、自分を殺して生きていました。
全ての感情を抑えていた。そうすることで自分を守っていたのです。
全ての言動は「周りの人の目」を元にしていて
やりたくないことをやって、やりたくない仕事をして。
そして、病気になっていったのですが
「治ってしまったら、またあの地獄に戻らなければいけない」
「でもそれ以外に生きる術はない」
と思い込んでいたんですね。
ものすごい恐怖が「治った先」にあったわけです。
「やりたくないことはやらない、ていうかできない!」
「元気な自分で堂々と、やりたいことだけして生きてく!」
と決めた頃に、すっかり良くなりました。
まあ、そう決心するに至るまで、
大きな体験というか、きっかけというか、色んなことがありましたけど。
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それから
「○○に愛されていない」と思い込んで、病気になっている人の多いこと。
だから病気になって
その○○が、どれだけ心配してくれるか
どれだけ特別扱いしてくれるか、相手の出方を見て、愛情確認をする。
治ってしまったら
・誰々に心配してもらえなくなる
・誰々の愛情を確認する術を失う
・自分の存在意義を確認する術を失う
そういった強い恐怖が
「治りたくない人」の「治った先」には見えています。
それでは、治らなくて当然ですよね。。。
全部、間違った思い込みなんだけどね。
まあ、そうやって生きていきたいのなら
ずっとそれでいいなら、いいんですけどね。
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こういった方は、施術を受けて
最初の最悪の状態(生活に支障がある程の痛み苦しみ)からは脱することはできますが
ある程度のところまで行くと、止まるんですね。
本人的にしんどすぎない程度のところで、止まる。
または、良くなったり悪くなったりを繰り返す。
(愛情不足になってくると、病気をぶり返す)
※病気が治ってくる過程で
良くなったり悪くなったり、振り戻しが起こることもあるので
全ての方がそうだとは限りません。
そして、痛み探しをしながらの毎日を送る。
「痛み」=「言い訳」=「物事の本質から目をそらすための道具」
なんですね。
過去の私がそうでしたからね。
あの頃の私は、すっかり治ってしまうことが怖かったのです。
自分は誰に向かって言い訳をしているのか?
自分は誰の許可を欲しがっているのか?
(誰の目を気にしているのか)
自分は誰の愛情が欲しいのか?
(誰に愛されてないと思っているのか)
自分は誰に心配してもらいたいのか?
(誰に心配してもらえてないと思っているのか)
ここんとこ、ちゃんと見つめて、はっきりさせてみませんか?
そして、いつか
もうそんなのどうでもいいや!と思えてきたら、本当に楽になれますよ。
生きていくことが。
病気じゃなれば愛されないとか、そんなの幻です。
「どんな状態の自分であっても、人の愛を受け取れるし、自分も人を愛せる!」
と自分で自分に許可できれば、そうなれるのに。
ていうか、私が見る限り
ちゃんと、家族が見捨てないでずっとそばにいてくれてる、
愛されて、守られている人に限って
「病気じゃなければ愛されない」ってなっちゃってるんです。
(幼少期の体験が元になって癖がついちゃっている人が多い)
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けれど、身体が辛すぎで、エネルギーが枯渇していると
自分に許可するとか、自分の心をちゃんと見つめるとか
そんな力も出てこないんですよね。
なので「まずは身体から。」なんですね。
そこんとこのお手伝いを、私はしているのです。
私の施術を継続して受けていくうちに、生命力がついてくると
最初は無気力で、最低限のことするので精一杯だったのが
ちょっとしたやってみたいことが、出てきます。
(なんか作りたいとか、カフェ巡りしてみたいとか、一人旅したいとか)
気力も体力もあるから、それが、できちゃって、楽しくて。
その後に、また次のやりたいことがでてきて。。。
すごい勇気を出して何かをするとか、変えるとかじゃなく
「ちょっとしたこと」の繰り返しだから
それも楽しみながらだから、全然大変じゃないのです。
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そういう日々を送っていると
気付いたら、今までと同じ生活でも、見える景色が違っている。
そして、半年、1年後、3年後
今から想像もできないような自分になっている。
「こわい」と思っていたことが、全然怖くなくなっていて
「無理!」と思っていたことが、なんてことなかったりして
ずっとあった不安も、どっかいっちゃってて
「自分らしく生きる」ってことを、自分で許可できるようになってくる。
「自分らしく生きる」って、何も壮大なことでなくて
「人の目を気にしないで生きる」ってことです。
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実態のない「世間の目」の奴隷のようになって生きている。
世の中、そんな人が、実に多い。
そういったマインドが、「体調不良という理由」でわが身を守る。
という術を生み出している。
たぶんね、病院に来ている患者さんの半数は、潜在的にそういうマインドの持ち主だと思うなー。
※「多くの人が、実態のない世間の目。の奴隷になっている」と常々、私が感じていたことを
ホリエモンの著書に上手く書かれてあったので、次回、ちらっと紹介したいと思います。