いま、ホームページのリニューアル作業に取り掛かっています。来週月曜日の新月タイムには新しくできたらなーと思いつつ。
で、「セラピストご紹介」のところ、もうちょっと自分自身のことを語ろうか。と思って
書きはじめたら、けっこう長くなっちゃったwww
リニューアルに先行して、載せまーす。
マジで長いので、私に興味のある人だけ、読んでくださいwww
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「自分が人にしてあげたいことと、周りから求められることが一致していた。」
そのまま流れ流れて、今の状態になっています。(Onenessというサロンをやっている)
ぶっちゃけ「よし開業するぞ!」とか一度も思ったことなくて。それなのに、40歳過ぎてから、貯金リアルにゼロ、しかも独身一人暮らしなのに、誰にも相談もせず一人で今のサロンを始めてしまっていました。いかに条件を揃えることを考えてなかったかが分かりますね。でも自分の小さな頭で考えた条件なんて揃わなくても、本当にやりたいことは出来てしまうものです。私の場合は、ただ、その時その時、目先の「やりたいこと」&「できること」をやってきました。
0歳~38歳まで、家族の為に生きてきた傍ら(何人ものカウンセラーやヒーラーに、「特殊すぎるケース」だとか「難しい」と言われる程の重い過去があるらしい)20歳から38歳までは、社会人OLとして勤めておりました。
(一部上場企業の営業事務、外資系製薬企業の経理、小規模企業の人事財務などを経て、PCスキルや経営のノウハウは所有しているので、自分のサロンの運営程度なら、とくに問題もなくできております)
20代の頃から「マッサージの仕事がしたいなあ」と思ってはいましたが、当時はクイックマッサージ等の気軽なショップは無く、国家資格をもった「按摩マッサージ師」等がいる「治療院」しかありませんでした。そこに勤めるには、全日制の学校に2年とか3年とか通って国家資格を取得しなくてはいけない。学費は年間100万近く。という現実を前に、「仕事にするのは無理だー」と諦めておりました。が、時代は変わり、私が30歳になる前から、リラクゼーションサロンが駅前に出店されるようになってきました。
34歳頃から、昼間OLをやりながら、整体やアロママッサージの学校に通い、夜間や休日にはリラクゼーションサロンのバイトで施術の経験を積んできました。
30歳以降は、常に身体の調子が辛かったため(肩凝り、首コリ、頭痛、目眩、吐き気、耳鳴り、胃痛、腰痛、浮腫み、倦怠感、不眠、便秘、生理不順、婦人病、冷え症、皮膚病)年収の半分以上をマッサージを初めとする身体を治すことに費やすほどで、様々な治療院で様々な療法を受けてきました。西洋医学、東洋医学、民間療法、自然療法、食事療法、心理療法、催眠療法、その他よく分かんないもの迄、自分で実践しながら知識も増えていきました。
「本気で楽になりたい」というフレーズがこのHPには出てきますが、私自身が「本気で楽になりたくて」そのためなら、何でもしてきました。本気なら、時間がないとか、お金がないとか、家族の協力がないとか、みっともないとか、「ない」の言い訳なんてしてられません。何が何でも楽なりたいから、やるしかないのです。
話が飛びました。
昔から、身体の辛そうな人を見るとほおっておけず、その人の肩に「すうっ」と手が伸びて、楽にしてあげていました。
幼少期は母の心身のケア、高校生時代のアルバイト先では店長を施術(60分は当たり前)。社会人になってからも勤務先の先輩方を施術(仕事中60分90分は当たり前)。外出中の営業マンから電話で「予約」が入るほど。その当時までは、まだツボの位置を知っているくらいで、他は全て自己流でしたが、なぜか「一生懸命やるだけで相手がみるみる回復する」という、自分の手と目で、変化を確認できることに喜びを感じていました。
この「一生懸命やる」という、本気、真心。これこそが、エネルギーです。この「一生懸命のエネルギー」が相手の体を本当に楽にしてあげられる源であり、これは現在まで一貫しており、これなしでは私の施術は成り立ちません。
よく頑固おやじの寿司屋とかで、いいネタが仕入れられなかった時は店を開けないのと同じで、本気が出せないような体調の時は、サロンもお休みしています(本当に)。通常、施術の受付は1日2名迄にして、常に自分のエネルギーをベストに保っています。(頭ではもっと稼ぎたいと思っても、体が休む必要のある時は、不思議なくらいに電話が鳴りません。)
39歳~41歳の3年間は、暗黒の時代というか、生まれ変わるための3年間でした。ドロドロの皮膚炎と、鬱とパニック障害で、外出不可能な状態になり、仕事を辞めて、一人で闘病していました。親にも隠して、一人暮らしで誰にも会わず、本当に一人で。医者には何度も絶望してきたので、医者を利用はしても頼ることはせず、この3年間で、死に物狂いで、「身体と心を楽にするための研究」を、自己を研究材料として追究していきました。しかも「こんなに辛いなら全て終わりにして楽になりたい」「消えて楽になりたい」(ストレートな表現は避けます)と、毎日泣いて願いながらです。
例えば、パニック発作が出ても、薬は飲まずに、ただ耐えながら横になって手当てする。
「この症状が出ている時は、身体のどこが痛くて、それを自分の手や身体をどのように使えば楽なるか」「この状態になっている時は、どこの筋肉や臓器が固くなっているか」「どんな気持ちの時に、身体がどんな状態になったのか」等、症状と身体(心)の因果関係と、手当ての方法を探っていきました。
40歳で二週間の断食後、食事をマクロビオティックに変えてから、まず不眠からメンタルがみるみる改善していきました。デトックスすること、内臓を休ませること、自分に合った食べ物を摂ること、は本当に大事です。(現代病は食べ過ぎ病と言ってもいいくらい)その他の体の辛さや皮膚症状は、その後さらに2年をかけて、少しずつよくなっていきました。
(30代以降の体の不調、今だから分かりますが、その時は、そうなる必要があったからそうなっていたのです。詳しくはまたの機会にブログにでも書きますね。)
42歳で社会復帰。最初は、派遣のOLとして、都内の企業に勤めることから再開しました。けれど、もうこの頃には完全に「自分に嘘を付けない」「自分の好きなこと以外はできない」私になっていましたので、どこに勤めても、長くは続きませんでした。辛くて辛くて、我慢できないのです。あの暗黒の三年間よりも、いや実際それ以上に辛かった幼少期~38歳の人生よりも、再開したOL仕事が辛いのです。自分に合わないものは、ちゃんと辛く感じるようになっていたのです。(昔の自分は、辛いことも、我慢していることも自覚できず、最終的に廃人になったんですよね。)
その後、アルバイトをかけもちして、マッサージの仕事をしていきました。徹夜で朝まで勤務、2時間だけ寝てまた次の仕事、でも全然元気、とか。家賃の支払いが間に合わない時は、日雇いの倉庫バイトや、お菓子の工場のバイトも。42歳にもなって、独身で彼氏もいなくて家や財産(何度も言うが貯金はリアルにゼロ円)や肩書もなくて、一般的な40代の女性が持っているものは何一つ持っていないけれど、私には、根拠のないすごい自信があるのです。「必要なものは必要な時に必ず与えられる」と。そして「何があっても大丈夫」と。一人で暮らしているのに、一人でいる気がしない。というのも不思議です。実際一人じゃないのかもしれません(謎)
で、アルバイトで勤めていた店の常連さんから、こんなに上手いなら個人的に頼みたいと言われ、2人3人と増えていくうちに、自宅の一部屋を「サロンらしく」設えて自宅でできるようにして。紹介でお客様もちょこちょこ増えて。ホームページも作って。取り合えず店名を「Oneness(ワンネス)」にして(2013年4月には東川口に移って)もうすぐ2年になります。
基本的に、楽しくやってますが、たまにクヨクヨ悩むこともあったり、キレて辞めたくなることもあります。人間らしくていいよねー。お客様から本当に本当に、沢山の学びを得て、成長しております。
オープン当初は、素顔をさらせないレベルで残っていた皮膚炎も、あるお客様(ストーカーおじさんに誠意を見せろと言われ、当時の全財産を渡して、米も買えなくなった事件)との出会いで得た気付きによって、完全治癒するに至りました。(このことは今度時間を作って文章にします)